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世界共通、縄目は絡まる蛇だった

 1994年と1997年の2度にわたり、NHKの教養番組「人間大学」で、環境考古学者・安田喜憲の講座「森と文明」が放映され、その中で、民俗学者・吉野裕子の著書『蛇』(法政大学出版)が紹介された。吉野の説では、縄文人は蛇が自分たちの祖霊であると考えていたという。そして土器に見られる縄目文様は、祖霊である雌雄の蛇が交尾する姿を象ったもので、正月の注連縄もまた蛇の交尾からきているという。
 少年時代から亀ヶ岡土器とにらめっこをし、縄目文様の意味を探り続けてきた私にとって、この説は青天の霹靂、まさに目からウロコであった。縄目は蛇を表すのだ。
 祖霊を蛇と信じる風習は、古代エジプトをはじめ古代ギリシア、メソポタミア、インド、中国、中南米のインディオなど広く世界中で見られ、たとえば古代エジプトのファラオ(君主)が額に飾るコブラも、祖霊の意味があるという。台湾に住む少数民族のパイワン族も、祖先は蛇であると信じ、祭器をはじめ、土器や木彫りの民具の中に蛇の造形を採り入れてきた民族である。
 世界には、太古からの信仰を今も変わらずに継承する民族が存在し、それを古代民族という。またその信仰の中で多く見られるのが蛇崇拝である。吉野の『蛇』には、神道にも古代の遺風が多くとどめられているということが、多くの例証とともに記されていて、それによると日本人もまた、パイワン族などと同様、蛇を崇拝する古代民族にあてはまる。


祖霊信仰と蛇の関係

 祖霊信仰とは、祖先の霊魂は新生児として生まれ変わるという考え方である。逆にいえば、新生児はすべて祖先の生まれ変わりとなる。
 それを端的に示しているのが、神道における「いき通し」の概念であり、古来、日本には祖霊信仰があったことを物語る。
 神道では、息は生命そのもので、人は死に際して息を吸い、あの世へ行く。そして再生の折には、その吸い込んだ息を自身の生まれ変わりとなる新生児に吹き入れる。新生児は「オギャ」と息を吐いて生まれ出るが、その息は祖先が死ぬ間際に吸い込んだものである。死ぬことを「息を引き取る」というのも、同じ考え方によるものだろう。神道では、この「いき通し」により生命が生まれ変わりを繰り返し、祖先の魂がエンドレスに継承されると信じられている。
 また神道では、死者の魂を御霊(みたま)と呼ぶが、これは巳霊(ミタマ=へびの魂)に由来するもので、亡くなった祖先は巳(蛇)になると考えていたことをうかがわせる。この考え方は、「蛇を祖霊とした」という縄文人の考え方とも合致するし、吉野のいうように、「神道にも古代の遺風が多くとどめられている」のであるなら、祖霊が新生児となって甦るという祖霊信仰も、縄文時代から引き継がれたものかもしれない。

(以上 第2節「祖霊信仰と蛇崇拝」より)